ロードレーサー

還暦を迎えてもまだまだ現役のロードレーサー、山崎敏正さん

若い世代の手本になるような人物

アニメ化もされて大人気となったマンガの「弱虫ペダル」は、元々は文系だった高校生がロードレーサーに成長する様子が描かれています。
このマンガと同様の人生を歩んできたとされているのが山崎敏正さんです。
還暦を迎えてもまだまだ現役のロードレーサーとして活躍している山崎敏正さんの人生を振り返ってみると、人生そのものがドラマ化できるような印象を受けます。

参考:「弱虫ペダル」を地でいくロードレーサー 還暦迎えた“リアル坂道くん”山崎敏正さん

オリンピック代表選手への道のり

山崎さんは元々美術部に所属していた文系少年だったそうです。
中学、高校と美術部で大学は美大へ進学すると考えていたほどだったそうですが、ある日突然運命が変わることになります。
街中ですれ違ったロードバイクの姿を見て一目惚れをしてしまい、頑張ってアルバイトをして貯めたお金で変速機付き自転車を購入したそうです。

その後、自転車競技を本格的に開始することになったのは20歳を超えてからで、元は文系だったとは思えないほどの頭角を表しました。
トラック種目では日本記録を残したことでモスクワオリンピックの代表選手に選出されるまで登りつめました。
しかし、残念ながら日本はモスクワオリンピックに参加しないという事態になり、オリンピックへの出場は叶わぬ夢になってしまいました。

当時のソ連はアメリカと冷戦下にあり、オリンピック前年に発生したアフガニスタンへの侵攻を理由にした大量ボイコットへと発展しました。
日本もアメリカなどの要請を受ける形でボイコットをすることになり、オリンピック出場を目指して頑張ってきた山崎さんをはじめとしたたくさんの選手に残念な結果を残す形になってしまったのです。

幻のオリンピック後の活躍

モスクワオリンピックへの出場は叶いませんでしたが、実業団に参加した山崎さんは世界中で開催された競技会に参加しています。
その後引退をしてから自転車メーカーで仕事をすることになり、自転車競技との関わりを続けることになります。
社会人として仕事を続けながらも、趣味程度として自転車競技を続けており57歳という年齢で実業団レースの優勝を飾ることになります。

まだまだ現役選手として活躍できるのは、運動神経に恵まれていなかったからだと山崎さんは語っています。
学生の頃からスポーツ万能で自転車競技を行っていたなら、還暦まで乗ることはなかっただろうと語られています。
美術部に所属していた文系少年が、ロードバイクの美しさに魅了されて夢中になれたからこそ、その時の気持ちを忘れることなく乗り続けることができるのだと語っています。
まさに、弱虫ペダルの主人公と同じような人生を歩んでいると言ってもよいくらいです。

今後も自転車競技の魅力を知り尽くしている山崎さんから若い世代へ自転車競技の魅力を語り継いでもらいたいものです。